花束を
最近あったことと最近買ったアルバムと最近考えていることが奇跡的に3重点を結んだ。
世は卒業シーズンを迎えて、門出を寿ぐように気温も緩んできている。朝出かけるときの空気も、金剛石のようにすきっとした硬質で透き通った色から滑石のような柔らかく霞のかかった色になりつつある。ゆっくりと、しかし急速に変わっていく季節がある。
「先輩」からこの間不意のメッセージが届いて、昔よく食べていた弁当や他愛もない会話のことを鮮明に思い出した。その人と場所にはもう二度と戻れないことはわかっているゆえに懐かしむしかできないものだった。
思い返せば、今の私には17や18だったころのヒリつくような焦燥感や怒りやそれらがないまぜになったような衝動をそのまま思い出すことはもう難しい。別の視座を得て、緩やかながらある程度広いつながりがあって、とりあえず身一つで生計を立てていて、なんとなく世界のやり過ごし方も身についてしまった。年を重ねることは失っていくことなのかもしれないと思う。
私たちは忘れてしまう生き物で、ゆっくりと時間とともにきっとディティールが曖昧になって美しい記憶へとすり替わってしまうのだろう。記憶は美しく纏まって小箱にしまわれていくはずなのにそれがなぜかたまらなく寂しい。大人になってしまった私たちは、私たちがそこに居たことを少しずつ忘れながらいつまで、どのくらい覚えているだろうか。
大人になることは折り合いをつけることだと思っていて、ここまでは我慢する、ここは絶対に譲らないという線を引いて、ごまかして、ちょっとゴールポストを動かしたりなんかもして、たまに疎まれながらまあまあうまくやっていくことだと思う。でも自由になっていい場所で自由に遊ぶときはきっと子供の顔に戻ってるんだろうと思う。何か作ってるときとかね。
世間的に”大人”といわれる存在になって数年が経って、かつての同級生が全然違う道に進んだのを横目で見ながら、遠くなっていくな…と思ったりして、それでも話すと案外学生時代みたいになったりして、意外と変わらないのかもな、と思ったりしている。
ゆっくりと変わっていく私たちが同じものを見上げられているといいな、と思っている。
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