スペシャルQトなぼくら(感想)

前回の感想&レビューではネタバレを避け主観に偏りすぎないように書きましたが、こちらでは自分のセクシュアリティやそれに絡めた主観的な感想を書いていきます。
気づいた点があればのちに追記することもあるかもしれません。
ヨルノソラ 2022.06.06
誰でも

私と登場人物(メインキャラクター)

まず簡単に私のことを説明しておくと、ノンバイナリー(Agender)であり、デミロマンティックのクワセクシュアルです。

作中の主人公2人はクエスチョニングであると自分を規定しているようなので同じだ、ということはできませんが、特にユエと私のセクシュアリティは相当程度近似した領域にあるということができるかと思います。ナオと似ている部分がないわけではないのですが、近似の度合的にユエの視点、ないしは私をユエに投影した視点からの感想となっているかもしれません。

良かった点

“いくら悩んでもわからないことは、わからないままにしておいてもいいんだって思ったら、なんだか気が楽になったんだよ”
スペシャルQトなぼくら, p61
“さんざん悩んだあとだから、多少は格好つけられるってだけのことだよ”
スペシャルQトなぼくら, p62

これらのセリフに関しては現在の私にとってはしっくりきたセリフでした。
当然ノンバイナリーとクエスチョニング、クワセクシュアルとクエスチョニングでは着地点が異なってはいるものの、それが何なのかあなたの性別をくっきりと言語化しなさいと言われてしまえば明瞭な言語化は難しく迷う部分ではあり、わからないままにしておくことである種解放されるという感覚はしっくりくるものです。ただしもしかしたら中学生、ないしは高校生くらいの年頃の自分は(LGBT以外にそこまで多様なカテゴリーがないという世代的背景もあるものの)とにかく正確なカテゴライズを求めていた気もするため、当時納得していたかは謎です。
また、迷った末にある程度の折り合いをつけた先を生きているからこその、“多少は格好つけられる”というのも率直に言ってそのようなことを感じる頻度はある程度高いため、こちらに関してもすんなりと納得のいくセリフでした。

抉られた点

ここまではすんなりと納得できた部分の良い点を述べましたが、抉られるような良い点に関しても述べたいと思います。抉られると書いたものの嫌な意味だけではなく、YA向けのある程度優しめの文体でありながら解像度が高いことを示していると考えていただければ良いのではないかと思います。

さて、刺さったワードは作中に何回か登場する“実験をしてみたんだ”というワードです。するんですよね...実験。ユエの経験と私の経験は当然年齢もセクシュアリティも環境も完全に同一であるはずがないので同じではないのですが“実験”とその実験で失敗したときの何とも言えない虚脱感やしんどさや無力感みたいなものは私としては共感できるポイントだと感じました。自分のことが分からなくてそれを確かめるために実験をするという行為をやったことのあるセクシュアルマイノリティ当事者は一定数いると思うんですがおそらくこの実験とその後の展開やそれで吹っ切れたりする部分の描写に関しては共感できる人も多いのではないかと思います。

また、現在私は自らの性別をアイデンティティの一部としつつも、無理やり何らかのカテゴリーの形に収めようとは考えていないのですが、成長の途中で通ってきた、無理にカテゴライズしようとする過程で生じる苦しみやカテゴライズしないとどこにも存在ができないような苦しみのようなものは共感しつつも抉られるポイントとして感じた部分でありました。

希望としてのSpecial "Q"te relationship

あえてこのような仰々しいタイトルをつけたのは、クワセクシュアルである私にとって、二人の関係性がただの“友達”ではなく、恋愛感情と名の付く感情を持たないユエにとって苦痛をもたらす“恋人”という束縛でもない。さらにこれまでの童話でよく見られていた“親友”という名づけとも距離を持つような“スペシャルQトな関係性”が描かれていることは、私がこの作品を13歳ごろに手に取ったならそれは希望であり拠り所であったのではないかと思うからです。

そしてラストで構築されるその関係性を“スペシャルキュートである”という言い方でタイトルへと回収する美しさとその関係性のまぶしさを正面から書ききっている作品は(特にYA向けの日本語作品としては)おそらく初めてであり、大変貴重かつ重要な役割を持っているのではないかと思います。

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